<abbr> あるいは <acronym> による略語の説明の入力を支援するプラグインを作ってみた。タグを生成するだけでは寂しいので、アスキーデジタル用語辞典 へのリンクを張る仕様。ただし、URL エンコードは行わない。これらのタグはほぼ英数字に対してしか用いることはないだろうから、さして問題なかろう。
スクリプトは次のリンクを参照することでダウンロードできる。拡張子 .txt を .rb に書き換えて使用する。
ソースコードは次の通り。適宜改行・スペース文字を利用して体裁を整えている。
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# ryakugo.rb $Revision: 1.0 $
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# 概要:<abbr>または<acronym>を使った略語の説明を生成する
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# パラメタ:
# term :[必須]:説明対象の略語
# title:[必須]:説明(正式名称等)
# ref :[任意]:アスキーデジタル用語辞典へのリンク
# ('true'など。値が存在すればリンクを張ります。
# 'false'や'0'でもリンクを張りますのでご注意を。)
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# 書式:
# <%=ab(または ac) 'term','title','ref' %>
# <%=ab(または ac) 'term','title' %> (リンクを張らない場合。)
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# 補足:
# <acronym>は「PC」「HTML」等、頭文字による略語を指します。
# <abbr>は「vol.」「ver.」等の略語を指しますが、<acronym>式をも含む概念です。
# W3C は XHTML2.0 において<acronym>を破棄し、<abbr>に一本化する方針のようです。
# Windows 版 IE は、6.0 になっても<acronym>しか知りません。困った話です。
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# ref は略語が IT 用語の場合に限られますが、それなりに使い道はあるはず。
# スタイルシートは適宜設定してください。
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# スタイルシートの例:
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# abbr, acronym { border:dashed 1px #666; cursor:help; }
#
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# Copyright (C) 2003 by AOYAMA <info@mtblue.org>
# Distributed under the GPL
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def ab( term, title, ref = nil )
if ref then
result = %Q[<a href="http://yougo.ascii24.com/gh/search/?pattern=#{term}">
<abbr title="#{title}">#{term}</abbr>
</a>]
elsif title
result = %Q[<abbr title="#{title}">#{term}</abbr>]
end
end
def ac( term, title, ref = nil )
if ref then
result = %Q[<a href="http://yougo.ascii24.com/gh/search/?pattern=#{term}">
<acronym title="#{title}">#{term}</acronym>
</a>]
elsif title
result = %Q[<acronym title="#{title}">#{term}</acronym>]
end
end
結局は WiKi に収斂するのだろうか。手打ちはもちろん、WiKi であっても正しい文法を知っていることが必要条件なので好いことだとは思うけれど、WiKi で生成されるページには妙なアングラ感を感じてしまってならない(まだ見慣れていないからだろう)。
文書に表題(タイトル)を付け「なければならない」と力むと続かなくなるので、表題がついていなくとも問題のない書式を考える必要がある。
絵画、彫刻、舞台、CG 、特に「色」が重要な意味をもつ表現の分野の人間で、色のついた眼鏡をしているというのはどういう了見なのだろう。まさかあのまま制作をしてはいるまいな。
個人だけで使うのであればさして問題ではないけれど、第三者に使用・閲覧されるファイル群のフォルダ名・ディレクトリ名は、単数形が良いのではないかと後悔している。
フォルダは分類(カテゴライズ)をするためにある。分類される対象物は複数個存在(予定を含む)することが自明であるし、単複を明示することによって得られる利便性の向上は微々たるものだ。翻って不利益は、このことによってフォルダ名を推測しにくくなることで、大変な(時間的)損失だ。故にフォルダ名は単数形で統一をした方が良いと結論する。そして後悔する。
あらゆる表現は媒体を問わず人の手になるのだから、複雑怪奇で自らもそれを明瞭に捉えているかが疑わしい人間の思考を、矛盾なく、唯一性を保ち、誰もが納得するような分類をすることは不可能だ。しかし、この「不可能」というやつが食わせ者だ。不可能と分かっていても努力は必要だ。不可能の体感のために努力が必要だ。不可能を直ちに完全放棄に結びつけると品性を疑われるので注意した方がいい。
いまさらながら、無断リンクの是非を考えてみた。
リンクするという行為の本質を鑑みるに、「参照」、ウェブページの作者(リンクを張った側)からすれば「紹介」程度の意味しかない。リンク先のリソースの引用ですらない。強いて言うならば、リンク先のリソースの <title> に指定された文字列と URI を借用しているけれど、これはある店の商号と住所を他人に紹介していることと同じで、誰のどのような権利も侵害していない。このようなときに逐一承諾を求めることもしない。「私のウェブスペースにあるものなのだから、何かするときは私の許可を得よ」という主張は、この例に置き換えれば「この店は私の土地に建っているのだから、誰かに紹介するときは私の許可を得よ」となる。この論理が破綻していることは明らかだ。故に無断リンクを禁止する行為に正当性はない。
結局この言い回しの意図するところは何なんだ。調べてみる必要がある。
何を学ぶにしても用語はすべての基本になるから、ここにまず気を入れたい。用語を知らない人を嘲笑うのでなく、助言ができるといい。無知が恥なのではなくて無知を笑うことが恥だ。自分も知らないのであれば、共に調べればいい。そうして知識は蓄積され、智恵となり、文化の発展へとつながる。
先日友人と話していて「待ち合わせ」という言葉が出た。しかし、この言葉が本来の意味で用いられる機会は既に失われている。携帯電話の普及によって、我々は「待ち合わせ」ることをしなくなってしまった。