表現は劣化との戦いだと最近思う。
何かが頭の中に浮かび上がる。言語化する。ここでまず劣化する。それを文字・色・音・形にする。ここでまた劣化する。人が見る。人によって文字・色・音・形から受ける印象が異なる。ここでも劣化が起こる。当初頭の中に浮かんだ「何か」が、最終的に相手の頭の中に入ったとき、原形をとどめている期待値はかなり低い。劣化が激しい。
この夜の張り詰めた空気をいかに表現しようかと思う。文字ならば「寒い」、色ならば青、音ならば鍵盤の右端、形ならば鋭利。これらは表現として有効である。有効であるけれど、未完である。不安である。結局、どう理解されるかは期待でしかない。
作る。形になる。より劣化を抑え得るように加える。あるいは引く。純度の高いままを保持することを追求する。
推敲は肝要であるという平易な結論が導かれる。
講義を欠席した学生の「先週はちょっと用事がありまして…。」という発言に対する恩師の言葉。「講義は用事とちゃうのんか」あたりを想像していたけれども、その遥か上を行かれた。
「生きる」という動詞の組成について話していたときの母親の言葉。男性である私がどう逆立ちしても出てこない言葉だと思った。