「お疲れ様でした」という表現に違和感がある。実際に疲労を伴う作業に対するねぎらいの言葉が「お疲れ様でした」だ。当たり前の話だけれども、これ以外の場合に、この表現を使ってはならない。
友人と話し込んだ後の別れの挨拶が「お疲れ様でした」とはどういう了見か。況して「お疲れ」とはどういう了見か。ただの挨拶に過ぎないとはとても思えない。「疲れる」という言葉から「疲れる」という意味を取り除いてなお「疲れる」と言うことは私にはできない。
言葉を正しく使えないことは、ものを正しく考えられないことだ。ものを正しく考えられないところに秩序はなく、これは精神衛生上極めて劣悪な環境だ。
曾祖母の口癖。母親からの伝聞。茄子は花を咲かせたら必ず実になるそうな。親の言うことも、そのときは納得できなくてもきちんとした理由と愛情によるものなのだから、とにかく聞き入れておいて損はない、ということ。
静かであること。特に、世の中がおだやかに治まっていること。太平。
東海地方の方言。自然に覚えられる。頭に入る。
「覚えられない」が自分(の頭)の責任であるのに対し、「覚わらない」は対象があまりに難解であるから覚えられなくても仕方がない、という語感をもつ。便利な表現の一つ。
ありがちな音韻変化であった。
ありがちな音韻変化であった。