2003-12-03 (水)

(カテゴリ[表現]の文書の一覧表示) 三点リーダの危険性

いわゆる「三点リーダ」、即ち記号「…」は、使わずに済むのなら使わない方がよい。三点リーダが出現するまでによほど精緻な描写をしていないと、読者に当該箇所で言外を読み取らせることは難しい。この表現手法は、決して言葉を濁すためにあるのではない。その意味するところが直接文字化されないだけで、他の表現・文字と同じく一つの表現だ。必要に応じて使うべきで、多用乱用してよいものではない。特に、初心者が用いてよい手法ではない。

画才のある友人が「グラデーションは邪道」と言っていたのを思い出した。「容易に習得可能で、それなりに上手に見せかけることができる手法」を疎ましく思う、という点で同じ主張。私は私で対句法や反復法を多用するので自戒の意味もある。もちろん、すべてのグラデーションや三点リーダが不適切だということではない。本当にそこでその表現が必要なのかね、という話。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) (カテゴリ[ウェブ]の文書の一覧表示) ブックマークを更新した

ブックマーク を更新した。これまでは、ある程度の汎用性を重視していたけれども、個人的な嗜好を強く反映した「 贔屓 」というカテゴリ(このカテゴリ名は変更するかも知れない)を追加した。既に「お気に入り」に登録しているいくつかのウェブサイトをここに配した。

「音楽 (MIDI)」に配した「 Remains 」というサイトは、現在までで唯一の、「閲覧中に音楽が鳴っても許せるサイト」だ。『パッヘルベルのカノン』やモーツァルトは好きだけれども、閲覧中に鳴る MIDI となるとこれらでも聴いていたくない。サイトの雰囲気と音楽がよく合っている点、音楽が純粋に美しい点、音楽が MIDI というプラットフォームでもよく聴こえる点、ON/OFF をユーザーが選択できる点、などが好い。

(カテゴリ[国語]の文書の一覧表示) 「とんでもないことでございます」の前に

「とんでもない」で一語なので、「とんでもない」の丁寧表現は「とんでもないことでございます」であって「とんでもございません」ではない。私はこれを『平成教育委員会』で知ったけれども、多くの場所で見聞きするので、出所は新聞社や国語審議会のアンケートの調査項目か何かだろうか。

私も「とんでもございません」をよく使うので弁解になってしまうけれど、別によいのではないか。「とんでもない」を一語とするのはある国語学者の一説に過ぎないのではないか。それよりも前に、「トンデモな○○」という表現を検証してはどうか。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) 夜@4-04

夜の空気は張りつめている。

雪が降り始める。ふわりふわりと土を覆う。

一匹の黒猫がこちらを向いている。

無音が支配する朧月夜である。

音なく色なく冷気のみがここにある、朧月夜である。

(カテゴリ[素敵な言い回し]の文書の一覧表示) 「命短し恋せよ乙女」

吉井勇作詞・中山晋平作曲・松井須磨子の『ゴンドラの唄』に同表現が見えるが、これが初出であるかは不明。黒沢明監督『生きる』の劇中で使われたらしい。

いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

吉井勇作詞『ゴンドラの唄』

「熱き血潮」は与謝野晶子の引用なので、「命短し恋せよ乙女」も引用なのかと思うけれど、引用文を四度も反復するのは考えにくいなあとも思う。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) 過去三大痛かったこと

1. 母が昔祖父に「子育て失敗したね」言われたということを母の口から聞いたこと。祖父も母も現状の私を悪く思っていない。のがまた痛い。

2. 惚れた女性が別の男に告白された際、「また好きにさせてしまった」と申し訳なさそうに言ったということを彼女の友人から聞いたこと。彼女は私を信用しきっている。のがまた痛い。

3. 平日の夜遅くに女友達に電話をしたら男の声で「どちらさん?」。声の主は中学校のときの先生だった。痛すぎ。

期せずして耳に入る過去の真実や「舞台裏」というのはどうしようもない。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) 夜@19-21

辺り一面冷たい闇で、この闇をわずかに照らすのは月光、水面の薄氷(ミナモ-ノ-ウスゴオリ)をそろりそろり歩く。

氷が割れる、水が全身を刺す、容赦はない。

感覚がなくなってきた。

これこそ私が望んだ世界、

これこそ私が望んだ世界。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) 限界と努力と追究と諦め

限界を見ないうちに自分の可能性を勝手に閉ざしてしまうのは愚かしいけれど、悲しいかな、一つの道を究めるということは他の道を諦めるということになるのであり。

(カテゴリ[日常]の文書の一覧表示) 音楽市場

「カラオケで歌うために歌詞を覚えようとしている人だけで成り立っている市場を『音楽市場』と呼んでもいいのか」とどこかのサイトの日記に書いてあった。



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