小学生が刺された。胸が痛い。学校の監視体制はどうだったか、報道によればセンサーの電源が切ってあったそうだ。
そんなことは問題ではない。学校は監獄ではない。子どもらの周りに柵を打ち立てることが解決なのではない。心の歪んだ人が出てこないようにするのが解決ではないか。「抜本的な見直し」と口では言うけれど、ではその具体的な方法とは何か。信じることである。譲ることである。誠意を尽くすことである。我が身を省みることである。
最近とみに、「不徳のいたすところ」という表現を意識する。身に降りかかる災厄は、私の不徳のいたすところ、身から出た錆なのだ。母親が刺されても文句を言わない。私の不徳のいたすところだ。母も文句を言わないだろう。そういう人だ。
人は失敗する生き物だ。失敗が許されない場所でも失敗する生き物だ。医者だって失敗するだろうに。私は何があっても医療ミスが云々なんて言わない。どんな理屈をくっつけても、人を疑い、攻撃し、傷つけ合うのはさぶい。誤解を恐れずに言えば、死んだ人間よりも生きている人間の方が大切である。
「こずるい」「せこい」「姑息だ」。ただし、愛嬌があって、許したくなるような姑息さについて言う。いかにも「こすい」感じの語感が好き。「こっすいでかんわ。」など。
中学時代の恩師の言葉。離任式でのもの。