「基本的に」が大流行である。何でもかんでも「基本的に、…」。例外や不測の事態のための退路を残しているのだろうけれど、無用だ。例外や不測の事態は必ず存在し、また想定しづらいものだ。そんなことは常識なので、「基本的に」を用いないのが賢明だ。例えば:
という二つの指定があった場合、前者は意味が分かるけれども後者は分からない。この表現だと、実際のところ何も指定できていない。「ある程度の常識を踏まえた上で、細かい点は特に指定しませんよ」という意味なのだろうけれど、それであっても前者で充分だ。「『書式』という概念が存在する『書類』である」という時点で、「常識の上に成り立つもの」だから、浅はかに「基本的に」と言うべきではない。
「基本的に自由です」などもよく見聞きする。単に「自由です」「自由とします」で充分だろう。「他人に迷惑をかけない限り」「処理の効率を著しく下げない限り」などは「常識」であり、逐一「基本的に」で補足の真似事をするようなことではない。常識の通用しない人のことを考えて何か策を講じるのは好いことだけれど、それが常識のある人を混乱させることになるのなら、本末転倒だ。
恩師の言葉。ある日突然電話が架かってきて、「今こちらは、食事をおいしくいただいています。」とおっしゃった。形容詞「おいしい」と言えば、「食べ物」にしか係らないと思っていた私にとって衝撃であった。以来、おいしいものを食べることよりも、おいしく食べることを考えるようになった。
「見る人の心ごころに任せおき 高嶺に澄める秋の夜の月」を調べていた過程で見つけた。
私は、ある言葉について、乱暴だとか、配慮がないとか、汚いとか言って批判をすることがある。現にこの「備忘録」でもしているし、友人らに口で言うこともある。これからもする。けれども、その言葉が存在している・残っているということは、何らかの必要があったということだ。だからいくら気に入らない表現であっても、駆逐してしまおうとは思わない。悪いのは言葉ではなく、それを使う人間だと思うからだ。
大阪の街中にあって蛙が鳴いているかと思ったのは、携帯電話の振動音であった。
例によって、ベートーベン交響曲第九番を聴いてきた。バッハのカンタータも演奏されて満足。
「正しい」とは、筋が通っているということ。A と B があって、A が正しければ自動的に B は誤りである、という見方は誤りである。A も B も正しい。だからと言って、「これ以上議論しても平行線をたどるだけですね」などと安易に切り捨ててしまうのも誤りだろう。妥協というと響きが悪いなら、協力とか譲歩とかいえばよい。譲れば譲られると思う。
敬語で着飾って「して差し上げる」にしても恩着せがましい。「します」「させてください」くらいが好いと思う。もちろん相手や状況によっては「してあげる」が最適なこともあるだろう。そこら辺の判断が柔軟にできると好い。
「つまらないものですが、気に入っていただけると嬉しいです」。素晴らしい気遣いではないか。「つまらないと思うなら持ってくるな」、屁理屈だ。「精一杯あなたが喜んでくれそうなものを選びました」という気持ちを「つまらないものですが」に込めているのだ。字面だけつかまえて批判するのは危険。日本に入りては日本に従え。と日本人に言いたい。