なんでアイツを映画に誘うのに、あの女の許可を求めなきゃならないんだ。この映画はアイツと観たいと思った。だから誘った。確かに、男と女が出てくる映画だ。この二人は恋人どうしだ。だけど、それがどうしたというのか。
それにそろそろ、「あんただって同じことされたら」っていう、人の心の暗いところに都合のよいときだけ光を当てて利用する、小学生を叱りつける母親みたいな論法を卒業したらどうなんだあの女。私のことは問題じゃない。いま問題にしているのは、あんただ。
適度な疑いが恋を長続きさせるコツとは何事。長続きさせるって、それにしたって終わること前提じゃないか。死ぬことが分かり切っている末期癌患者が逝こうとしているとき、無理やり強心剤を打って心マッサージするようなものじゃないか。恋が続くことそれ自体は目的じゃないだろう。どれだけ心を尽くし、豊かにし合えるかが大切だろう。日数じゃなくて幸せが、数字よりも心が大切だろう。アイツがどれだけこの女に尽くしているのか知ってのことばなのか。コツとは。人の心を小手先の技術でころころと動かそうというのか。そもそも、恋うんじゃなくて愛せよ、大人だろう。
私だって同じことがあったら、おもしろくないだろう。でもこれは私が未熟で、汚くて、臆病で、相手を信じていないからだ。本当の愛は、優しく笑んで静かに見守るんじゃないのか。そういう人になるために、私たちは生きているんじゃないのか。いまの自分に満足する、この態度はまずいと思う。「気にかかるのは仕方ない」? 仕方なくなんかない。この上あんたは神様まで利用しようってのか。ああ、浅ましい。
…という内容のことを、いかに優しく表現するかが課題。「私」の性別は読んでのごとく女。