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ウェブ上で見つけた、これは保存しておかねばなるまい、と思ったリソースの目録です。このディレクトリ、およびこれより下位のディレクトリに配される文書で、かつ青山の手になる文書について、最終的な目的を達成するために、意図して著しく煽動的な文言・構成・機能を持たせている部分があります。詳細は、後述の「このコンテンツについて」を参照してください。
各リソースは青山の独断の下、任意の範囲で原本より複製され、アップロードされていますが、アクセス制限がかけられています。パスワードは公開されていませんし、公開する予定もありません。つまりここで行っていることは、「私が私有するうちの一部のものについて、そのタイトルを紹介している」だけです。何ら違法なことはしていません。「私は岩波書店の『広辞苑』という国語辞典を所有している」と声高らかに宣言しているだけです。宣言することが目的達成のために必要でした。
本サイト作成者である青山が、これまでに閲覧してきたウェブサイトの中で、特に公益性が高く、比較的長期間に亘り有用である情報を提供していると感じたウェブサイトを、サイト一括ダウンローダなどと呼ばれるソフトウェアにより機械的に取得し、自身の管理下にあるウェブサーバにアップロードしたものの目録を公開しています。この行為は辞書的には「転載」と定義されるでしょう。
日本のウェブ上での雰囲気に、転載を全て悪だ、違法だ、と捉える向きがありますが、これは間違いです。いわゆる著作権法が禁じているのは、権利者の許可を得ず、かつ不特定多数に対して行われる転載です。個人的利用の範囲内での転載は認められていますし、そうでなければ、私たちは書籍の題名をメモ用紙にメモするだけで告訴されてしまうことになります。健全な転載は利用者に認められた正当な権利です。この権利を侵害することは違法です。
これまで、多くのウェブページを閲覧し、価値があると判断した情報はブックマークに登録してきました。しかし、後日必要になって再びアクセスしてみると、404 Not Found のメッセージ、そんなことを何度も経験しました。リソースが移動されたり削除されたりする際、著作権者はそれを無言で行うこともあれば、何か釈明をして行うこともあります。ですが我々利用者の前には、「著作権者の個人的な都合によりリソースが一方的に削除された」という事実だけが残ります。私もしばらくはこれを仕方のないことだと考えていたのですが、一抹の違和感を抱えたままでした。
著作権者が自らの作品について、他の人とは異なる大きな権利を有することに異論はありません。しかし現状、行使される権利があまりに巨大で、行使されるタイミングや手順があまりに強引ではないかと思うのです。歴史を鑑みてみますと、古くから多くの芸術家は、作品を作り上げて世に出したとき、その作品が自分のものでなく公共のもの(Public なもの。Publish という語にも繋がります)になることを知っていました。作品は積極的に複製され、大衆の間に広まっていきました。そしてそれに専門的な注釈が加えられたり、初心者向けの解説が添えられたりして、二次的な創作物が生まれ、これもまた同様に広まっていきました。これを繰り返すことで、私たち人類の文明は発展してきました。真っ当な感覚をもった作家は、自らの作品を権利でがんじがらめにして、その動向を完全に制御しようとはしませんでした。2006年はモーツァルトの生誕250周年にあたり、世界各地で演奏会が開かれています。モーツァルトは下品な男だったと伝えられています。しかしながら、カネや権利に対しては清貧でした。だからこそ、私たちは彼の音楽の恩恵に浴することができているわけです。行き過ぎた著作権観は作品の広まりを制限し、文化の発展を阻害し、人の心を荒廃させます。
もう少し歴史を考えてみると、土地・富・知識・権利、およそあらゆるものが一部の特権階級に占有されていることは、その文明にとって望ましいものではなかったということが分かると思います。人類の歴史は戦争の歴史だと言います。その戦争は何のために起きてきたのでしょうか。土地や富や知識や権利の行き過ぎた不均衡を均衡にするために起きてきたのではないでしょうか。
著作権と転載の話題に戻って反省してみるに、現代の日本で叫ばれている著作権は、あまりに著作権者の権利を偏重したものではないかと思えてくるのです。あらゆる権利を廃するべきだとも言えませんが、少なくとも現状は、いささか度の過ぎたことが当然のように叫ばれているように思います。
そして注意したいのは、権利者が既得権益を保護しようと躍起になり、経済力や法律を盾に、マスコミを通じて情報操作を行おうとする点です。私たちは、権利者によって一方的に押し付けられる情報の山から、正しいものと誤ったもの、建前と本音を選び取らねばなりません。そして現代、WWW はこれを可能にします。人を疑うことに慣れていない正直者が、金の亡者と化した権利者の情報を鵜呑みにし、新たな誤解の布教者になることもまた、並行して避けねばなりません。浅い歴史ではありますが電子機器の歴史を振り返ると、特定のメーカーが特許によって権利を独占し、収入を確保しようという浅慮のもとで発表された独自規格は、悉く市場に拒否されてきました。利用者・消費者は、目の前にある商品・作品が、大衆に不便を強いてまで特定の人間の利益を追求しようとしていると見たとき、これを否定し、拒否する眼と手段を持たねばなりません。そしてまた、良いもの・普遍的な価値のあるものは、誰に伺いを立てるでもなく、全ての人が自由に使える状態であるのが、長期的に見て、個人にとっても社会にとっても文明にとっても、望ましいことなのではないかと思います。
各所で頻発する 404 エラーに対する積年の恨みが堪忍袋の緒を切った。
これらを踏まえたうえで、私はここでリソースの目録を公開し、かつパスワードをかけるという手段を執ることで、次の目的の達成に少しでも近づきたいと考えました。
本ページのタイトルに含まれる「断腸の思いで著作権を侵害する」は、前述の目的を達成するために、敢えて読者の興味を煽る必要があると判断したため、事実とは異なることを承知のうえ命名したものです。「サルにも分かる読書感想文入門」と同じようなものです。いわゆる現行の著作権法が悪法であるか否かに関わらず、同法が禁じる、権利者の許諾なき不特定多数への公開は、していませんし、するつもりもありません。パスワードを強引に突破することを試みるのは自由ですが、その行為は別の法律によって規制されていることを忘れないでください。法律には従っておいた方が無難です。
あなたが価値のあるものだと判断してくださるなら、積極的に行うべきです。青山の私腹や自己満足を無視してでも、公益に供することの方が、ずっとずっと優先されるべきです。作品は人間が人間のために作るものです。利用者が作品に縛られるようなことがあってはなりません。この構図は、著作権者が支配する作品に利用者が支配されていると読め、即ち、著作権者が作品を隠れ蓑にして利用者を支配しようとしていることに外なりません。これは重大な人権の侵害行為です。私はこういうことを良いことだとは思いません。
一応述べておきます。まだ思考実験中であまり理路整然としていないのですが、漠然と、ウェブ上での著作権と既存の媒体での著作権は分けて考えないと理解できないのではないか、と考えています。2006年2月3日現在、私が思うウェブというメディアにおける著作権の問題点は、次のようなものです。
既存のメディアの場合、絶版・廃盤になっていたとしても、古本屋を探したり、最悪の場合でも国会図書館に駆け込めば、何とかなる場合がほとんどです。しかしウェブリソースに関しては、Internet Archive や Google のキャッシュ機能に期待こそできても、その信頼性は国立国会図書館には遠く及びません。この辺りの事情が、ウェブ上のリソースが無許可で複製されてしまうことの根拠になっていはしないかと思います。ともかく、既存のメディアと同じように考えよう・規制しようというのが無茶なことのように思います。ウェブ上に公開したものをコピーされたと騒ぐのは、玄関の鍵をかけずにいて泥棒に入られたと騒ぐくらい間抜けなことだと思います。法的にも倫理的にも窃盗犯は非難されますが、保険屋は鍵をかけることを怠ったという事実を無視しないでしょう。
ウェブ上での著作権を考えるうえで参考になるリソースを次に示します。要約すると「優しさとか思いやりとか譲り合いって大事ですよね」「自分の頭で考えましょう」ということだと思います。
著作権法を読まずに著作権を主張するのは、悪事だとまでは思いませんが、少なくとも無謀の謗りを免れることは難しいでしょう。
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