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舞と顕士(草稿)

草稿。ややこしいことを簡単なことばで表現できないかと思った。ややこしいことをややこしいことばで表現するのは易しい。よく分からないことをよく分からないことばで表現するのは易しい。ややこしく、よく分からないことを簡単なことばで何とか伝えることができないかという、挑戦。

誤字の指摘を歓迎します。

目次

顕士と出逢ったのは六年前、私たちは中学三年生だった。受験勉強の中にあって私は、理科だけがどうにも苦手だった。

六月、席替えで顕士は私の前の席になった。自分の机を移動させて顕士は、後ろの席の私に、
「よろしく。」
と言った。私も同じ言葉を返した。それが私たちの最初の会話だった。夜半からの雨が空気をしっとりと湿らせていた。

長い夏休みを一月後に控え、先生たちの口からは、もっぱら入試のこと、そしてこの夏休みがいかに重いか、という話が出た。私は毎年繰り返されているであろうこの話を、気持ちを正される思いで聞いていたが、ただ焦りばかりが背中から迫ってくるのを感じていた。

数日後の理科の授業だった。植物について勉強する時期で、おしべとめしべがどうにかなって実ができるんだと先生が言っていた。先生が突然私を指名した。
「めしべのどの部分に花粉が付くか、分かるか?」
こういう時先生は、黒板の答えが書いてある所が見えないように立つのだった。
「さっき言ったぞ。」
それは分かっているのだが、何しろノートを取るのに集中していて聞こえなかった。これからノートしようと思っていたところなのに、と困っていたら、顕士が消しゴムを私の方に落とした。半身をひねってかがみ、消しゴムを拾った。起き上がる時に、そっと言った。
「柱頭。」
助かった。私はわざと自信なさそうに答えた。
「えっと…チュウトウだと思います。」
「そうだ。ここ、柱頭に花粉が付くんだ。」
先生は黒板の図を指差しながら言った。私は晴れて無罪放免、席についた。先生がこちらを向いていないのを確認して少し身を乗り出して、小声で
「ありがと。」
と顕士の背中に言った。右手が小さく応えた。

顕士は特別頭の切れる人間ではなかったが、よく勉強する「努力の人」だった。テストではいつも七十点から八十点くらいの得点だった。そのためクラスで一番になることはなかったのだけれど、五番より下になることもなかった。私はそのさらに十番くらい下だった。

その日私は、顕士と一緒に帰った。帰る方向が同じだったのと、この方向に帰る生徒はあまり多くなかったこともあり、私は顕士に少し緊張して声をかけたのだ。まず、授業中に助け舟を出してくれたことのお礼を言った。その次に、どうして教えてくれたのかを訊いた。顕士は答えた。
「べつに。…分かんないみたいだったし、あのままほっといたらお前、しばらく立ってなきゃいけなくなっただろ。それで。」
照れくさそうだった。
「うん、まあ、とにかくありがとね。」
私たちは別れるまでの三十分くらいの間、お互いの進路について話した。顕士は、将来何になりたいかはまだ考えていないけれど、本が好きなので、本や言葉に関わる仕事につきたいと言った。今の学力で入れる西高ではなく、一つ上の北高に入りたいということだった。
「お前はどこ狙ってるの?」
顕士が言う。
「私は…、西高かな。ちょっと厳しそうだけど、がんばって西高狙い。」
少し声が上ずった。
「そっか。」
この日はこれで別れた。紫陽花がきれいに咲く、薄曇りの日だった。

家に着いて机に向かった。気がついたら理科の参考書を開いていたが、次の瞬間、私は受話器を手にしていた。顕士の家に電話をかけた。呼び出し音が五回半鳴ったところで、顕士が電話に出た。
「もしもし。」
私は突然電話したことを詫び、もうじき始まる夏休み、時間のある時でいいから勉強を教えてくれないかと頼んだ。
「うまく教えられるか分からないけど、それでもいいなら、構わないよ。」
顕士は快く引き受けてくれた。
「何かあったら、また電話してくれよ。」
そう言って顕士は、携帯電話の番号を教えてくれた。お互いがんばろうねと言い合って、電話を切った。

次の日はよく晴れた。顕士と私が妙に親しそうに話しているのを、クラスのみんなは不思議そうに見ていた。その視線に顕士も私も、少し恥ずかしかった。私の胸は高鳴ったが、これが周りの視線に対する照れなのか、あるいはもう一つの感情によるものなのか、はっきりとは分からなかった。

それからも度々私は、顕士に電話をした。勉強の話の他にも、いろいろなことを話した。お互いの育ってきた環境のこと、音楽の好みのこと、恋愛観。顕士から私に連絡をしてくることは多くなかった。私は三日に一回くらいの頻度で顕士に電話をしていたように思う。顕士の声を聴くと、がんばるぞという気になれたのだった。いつでも顕士は快く電話に出てくれた。そして梅雨が明けた。

舞・図書館

この夏休みは、それほど待ち遠しくなかった。何せ遊べないのだ。昨年までは友達と街へ買い物に行ったり、家族で海や山へ出かけたりするのが楽しみだった。けれど今年は違う。友達はもちろんそうだし、家族も私が受験生であることが分かっているから、海だの山だのといった浮かれた話を持ち出そうとしない。「落ちる」とか「滑る」とかいった言葉を冗談混じりに避けるのだった。私は決して必死になっていたわけではないので、周りのこういう気遣いがくすぐったく、またいささか後ろめたかった。部屋にこもってはいても、母や弟が思っているほど力を入れていなかった。そんな自分を自分で見下し檄を飛ばしながら、焦りつつも、残された時間の上に寝そべっていた。

ノックの音。母だ。手に持っている受話器を見るや、私は電話の相手を理解した。顕士だ。
「あ、俺だけど、今、よかったかな。」
顕士は私との約束を憶えてくれていた。そればかりか、私が連絡するよりも先に電話をしてきた。
「うん。ごめんねわざわざ電話させちゃって。」
言って私は思った。顕士の気配りの前にこうしてごめんと言ったのは、一度や二度ではなかった。考えてみると、顕士はいつも私より二つか三つくらい先を見ていた。「先」といっても、自分のことではなく私のことをだ。こういうのを、「優しい」とか「頭が良い」とか言うのかなと思った。顕士のこの気配りは、私だけに向けられているのではなく、顕士の周りの人すべてに向けられていることにも気づいた。何だか淋しい気にもなったが、顕士に勉強とは別のものを期待している自分が、情けなかった。
「もしもし? どうかした?」
「ううん、何でもない。ごめ…じゃなくて、…いいの? 私なんかに構ってくれてて大丈夫?」
「いいよ。あんまり一人で勉強してても肩が凝るし、たまには誰かと一緒にがんばってみるの、いいと思う。全然気にすることないって。」
誠実な態度、終始相手のことを考えた言葉遣いがまぶしかった。私たちは、毎週木曜日と日曜日、市立図書館で会ってお互いの進み具合を確かめ合ったり、解らないことを訊き合ったりすることなどを決めた。
「じゃ、明後日に。がんばろうな。」
「うん。がんばるね。今日はありがとう。」
私はカレンダーの木曜と日曜のところに印をつけた。印をつけている時、また顕士と電話している時、受験勉強のことなど頭にない自分がいた。つくづく顕士との間の溝の深さを思い知らされた。

理科の勉強をしている時はもちろんのこと、国語・数学・英語・社会、どの参考書を開いても、顕士の声が耳から離れなかった。私は自分のこの気持ちが何なのか分かった。

得意な科目というのは、少なくとも夏休みから勉強するようなものではない。これは「定説」だ。用心に越したことはないが、それよりもやはり苦手な科目がある私のような受験生は、そこから手をつけるべきなのだ。私は木曜までの二日間、理科の勉強しかしなかった。

図書館へ向かう私の足取りは軽かった。虫捕りアミを手に駆け回る小学生に、自然に笑みがこぼれた。

顕士は先に着いていた。姿勢よく人を待っている青年は、遠目にもすぐに顕士と分かった。額には汗が少し滲んでいた。図書館の入り口の「朝顔」と札の立てられたプランターに、双葉が出ていた。
「ごめん、待った?」
俺もさっき着いたところだと言い、今日は涼しい方だねなどと話しながら、私たちは館内に入った。冷房が一気に汗を乾かした。

平日の昼間とは言え、中には何人かの利用者の姿があった。その半分くらいは私と同じくらいの年頃の人だった。私たちは、部屋の隅の方、誰も座っていない机を選んで荷物を下ろした。

向かい合わせに座って、私はこの二日間の成果を見せた。そしてこことここがよく分からない、と言って顕士の言葉を待った。顕士は身を乗り出して教えてくれていたが、しばらくして、私の隣に移動した。その動きは自然だった。私の目は、赤ペンを握る顕士の右腕しか見ていなかった。

気がついたら五時、約束の時間だった。私たちは外に出た。顕士が言った。
「少し、歩こうか。」

顕士・図書館〜公園

実のところ、僕は秋くらいからがんばりだせば充分なんじゃないかとタカをくくっていた。けれどこれも何かのめぐり合わせなのか、彼女と一緒にこの夏、勉強することになった。

小野田舞、クラスの中では特に目立つ子ではなかった。大して賑やかでも、静かすぎるわけでもない、普通の女の子。ただ一つ、気になることがあった。笑顔だ。彼女には何人か友達がいて、その中にいて話している時に笑いはするのだけれど、どこか陰のある、悲しそうな笑顔だった。この子は何を抱えてこんな悲しい笑い方をするのだろうと思った。彼女が心から笑った顔は、きっと素敵なんだろうなと思った。

最初の一日ということもあって、勉強らしい勉強になったとは言えなかった。僕も自分で分かってはいるはずなのだけれど、人に教えるとなると、これはこれで難しいものだなと思った。感覚として分かっていることを、他人が理解できる「ことば」にしなければならない。先生はさすが先生だな、などと、彼女に教えながら一人で感心していた。

「向日葵が咲いてるよ!」
彼女が道の脇の空き地を指差して言った。向日葵の目にしみる健康的な黄色を見ながら、僕は思った。彼女に言われるまで、僕の目にはアスファルトしか映っていなかった。そう言えば、彼女はよく花を見ていた。六月の紫陽花、朝顔の双葉、そしてこの向日葵。僕は自分の視線の低さが恥ずかしかった。
「花、好きなの?」
彼女に訊いた。
「うん、好き。こうやって道ばたに何気なく咲いてるのが特にいいなって思う。」
花は、自分が根を張ったところでグチをひと言もこぼさないで精一杯咲くから好きだと彼女は言った。花について話す彼女の声は明るかった。
「顕士くんは花、好き? 何の花が好き?」
「うーん…。何て言うか、今まであんまり花を見たことがないから分かんないわ。」
続けて僕は言った。
「俺、下ばっかり見てるから、花が見えてなかった。今日からはちょっと花とか空とかが見えるように歩いてみる。」
「その方が気持ちが明るくなると思うよ。」
彼女は優しく、しかしはっきりとそう言った。

近くの公園にベンチがあった。ちょうど大きな桜の木の陰になっていたので、ちょっと座って話すことにした。

僕は彼女が目指している高校――西高――のことについて尋ねた。
「あのさ、何で西高にしようと思ったの? 言える範囲で構わないから、ちょっと教えてくれないかな。」
「…特に西高じゃなきゃダメ、ってことはないんだけど、私、まだはっきり何になりたいっていうのないから、一応普通科に進もうと思って。大学には行きたいと思ってるから、進学率とか考えると、最低でも西高かな、って。」
「そっか。何かさ、この時期から勉強してがんばってるんだから、きっと大丈夫だよ。俺なんかよりずっと勉強する気あるみたいで、逆に俺の方が、これでいいのかよ、って少し焦ってくるくらいだもん。」
僕は北高の名前を出せなかった。
「でもさ、顕士くん、もう将来のこと考えてるからすごいなって思う。私はまだ、全然…。」
「いや、正直なところ、本が好き、ってのは本当なんだけど、そっち方面、っていう目標もあんまりはっきりしてるわけじゃないんだよ。形だけでもそういうこと思っとかないと、どんどん落ちてっちゃうような気がして。だから『なってやるぞ!』とまでは思ってないかな。俺も中途半端でさ。」
僕は笑いでごまかしながら、本当に先のことを考えている――少なくとも、考えようとしている――のは彼女の方なのかも知れないと思った。僕は、人に訊かれた時に答えることができないのを避けるために、その場しのぎに「夢」を語っているのかも知れないと思った。ただ、彼女にはこの点、感謝している。僕が人目を気にして、世間体をいつも意識しているせいで見えなくなっていたもの、つまり僕自身の目線、僕自身の立ち位置を見直すための、いいきっかけをくれたからだ。だから余計に、何か返さなくては申し訳ないなとも思った。今、僕が彼女にしてあげられることは、こうして一緒に勉強をすることなのだろうなと思った。欲を言えば、彼女の本当の笑顔を見たいと思った。それは僕のためでもあるが、彼女のためでもあるんだと、自分の中で勝手に理屈っぽいことを考えた。

僕は、誰のためなんだ、ということを考えるのがあまり好きではない。と言うのも、去年くらいから丸一年間、このことを考えて考えて、答えが出ずにいるからだ。友達・先生・家族、誰であれ、僕は相手の人がどうしたら喜ぶだろうかといつも考えていた。でもこれは、相手が喜ぶのを見て自分が喜びたいだけなんじゃないかと思ったのだ。自分の喜びのために相手の笑顔を利用しているだけなのか? ここに思いが至ってから、僕はアスファルトばかり見るようになったのかも知れない。

これはごまかしなのかも分からないけれど、今は、相手も嬉しくて自分も嬉しいならそれでいいじゃないか、自分のためだけに立ち回っていないのならそれでいいじゃないか、深く考えても時間がもったいない、それよりできることをしよう、と自分に言い聞かせている。現に隣に座っている彼女も、学校にいる時よりはいくらか明るい顔をしているから、まあ、いいかと思った。
「どうしたの? 怖い顔して。」
「…あ、何でもない。ちょっと考えごと。」
「ふーん。」
僕も笑わなきゃな、と思った。

舞・夕食


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最終改訂日
20111123日 (水) 】
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